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住宅の歴史~間取りのお話

黒宮建設です
家を建てたいと考えている方々が一番気にすることはやっぱり間取りですよね。
リビングはここで、お風呂と洗面室はここに・・・とパズルのようにお部屋をはめ込んでいる時間は家づくりの醍醐味です。

今では3LDKや4LDKが主流ですが、それも時代の流れですね。
昔は身分や立場または社会状況によって住む家に違いがありました。

今回、お話をするのは当時の一般的な住宅です。
現在の一般的な間取りと比べながらこんな間取りもあったんだと思っていただければ幸いです

江戸時代

・農家

大きな土間で農作業を行い、板床にて生活するスタイルが農家の主流となりました。
間取りとしては、三間取り、四間取りと呼ばれる居間が3つ、4つ並んだだけでした。
農家に基本的には廊下がなく、居室を通過して居室に移動するという形式でした。

町屋

町で暮らす商人、職人は表通りに店を構えて裏に住まいをもつ「町屋」に住んでいました
町では、間口が狭く奥行が長い住宅が連続しており、各部屋に光が入らないことはもちろん、他の家からの延焼もしばしば起こりました。

玄関から入って続く長い土間は通り土間と呼ばれ、水廻りの設備はこの通り土間に設置されていました。

明治~大正時代

中廊下型住宅

住宅の中で複数の居室が必要とされた時代です。
水廻りなどの空間は中廊下によって分かれ、これのよってプライバシーの確保につながりました。 
当時は男性の権威の象徴として客間兼書斎が間取りの中に頻繁に取り入れられました。
女性の立場が確立されていない背景からも家事をする台所が条件の悪い北側に配置されているのもわかります。
南に居室、北側に水廻りを配置する構成は現在の間取り構成の基本にもなっています

昭和時代(戦後)

最小限住宅

第二次世界大戦が終戦すると住む家を失った人たちがたくさん現われました。
当時は資材不足の影響もあって、住宅機能の合理化の考えが浸透していきます。
そんな中で増沢洵設計の必要最低限の機能だけを持った「最小限住宅」が生まれました
その床面積は実に9坪(9坪ハウスとも言われています)
小さいながらも2階建てで吹き抜けを設けて開放感がある住宅になっています。

公営51C型(DK型)

最小限住宅から派生して集合住宅に取り入れられたのが「51C型(DK型)」の間取りです
今では主流となったダイニングとキッチンが一体となったこの間取りが出来たことで食事室と寝室を分離する「食寝分離」の考え方が広まりました。

そして、昭和の後半からハウスメーカーが台頭してきました。
当時の人たちの憧れは庭付きの一戸建て住宅に変化していきます。

平成~令和時代

平成に入ると地方では戸建て住宅をもつ考え方が一般的になってきます。
どんな素材・色・デザイン・間取りにするかなどの選択肢が広がったことで住宅の間取りには多様性が求められることになりました。

住宅の間取りは当時の人々の考え方が反映されているものだと感じます。
また、国の経済状況やまわりの環境、立場や地位にあわせた住まいに住んでいた時代もあったことがわかります。
住む場所や間取りを自由に選択できるようになった今の時代に生きる私たちはとても幸せなのかもしれません。

これからの時代は地球温暖化の影響もあり、高断熱・高気密の省エネ住宅は当たり前のなってきていますね。

また設備もネットで家電が繋がる時代、どんな間取りが流行っていくのでしょうか